過去の記事一覧
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李芳遠(イ・バンウォン)は執拗に世子の座を狙った。彼にしても、自分の兄たちが指名されたのであれば必死にこらえたことだろう。しかし、異母弟の李芳碩(イ・バンソク)では絶対に認めることはできなかったのである。
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朝鮮王朝は1392年に建国されたが、誕生したばかりの王朝を強大にしたのが3代王の太宗(テジョン)であった。彼は朝鮮王朝の創始者である太祖(テジョ)の五男だった李芳遠(イ・バンウォン)のことだ。
異母弟が世子に…
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世子(セジャ)といえば、朝鮮王朝の皇太子である。次の王が約束された身分なのだ。それなのに、その世子の中で外国の人質になった人がいる。それが、16代王・仁祖(インジョ)の長男だった昭顕(ソヒョン)世子である。
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1701年、仁顕(イニョン)王后が世を去った。長く病に苦しんだ末の死だった。仁顕王后を慕っていた淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)が、すかさず粛宗(スクチョン)に告発した……それは、張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪い…
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1689年に廃妃になった仁顕(イニョン)王后は、「私は罪人です」と自らを卑下し、実家の奥の離れで質素に暮らした。その一方で、空いた王妃の座に昇格したのが張禧嬪(チャン・ヒビン)だった。彼女は王宮の中で贅沢三昧に暮らした。…
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19代王の粛宗(スクチョン)は1661年に生まれた。父は18代王の顕宗(ヒョンジョン)であり、母は明聖(ミョンソン)王后だった。彼は13歳だった1674年に国王となって統治を始めた。
張禧嬪を寵愛
粛宗は朝鮮…
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韓国時代劇を見ていると、捕盗庁(ポドチョン)の役人がよく出てくる。重要な事件のときに出番が多いのだが、この捕盗庁というのはどんな役所なのだろうか。ここで詳しく説明しよう。
腰に赤色の太い縄を付けた
朝鮮王朝時…
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朝鮮王朝時代は一夫一婦制であり、国王もその制度をしっかり守っていた。つまり、在位中には正室が1人しかいなかった。その正室の中で、廃妃(ペビ)になった女性が何人もいる。特に、朝鮮王朝の歴史の中で一番最初に廃妃になったのが尹…
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2007年に韓国で放送された時に最高視聴率38・9%を記録した『イ・サン』。あまりの人気の高さに、当初は全60話の予定を全77話まで延長したほどだった。この傑作で、主役のイ・ソジンが披露した抜群のアドリブを紹介しよう。
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「時代劇の巨匠」と称されるイ・ビョンフン監督が演出した『イ・サン』。このドラマではイ・ソジンがとても素晴らしい演技を披露したが、その相手役になったのがハン・ジミンだった。彼女が演じたソンヨンの実在のモデルとは?
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